剛柔流訓

剛柔流空手道始祖、宮城長順先生は「武士」の名を冠されている。それは先生が武人として、我が国、空手道の歴史で特筆される存在であるとともに、人間としても将に師表とするに足りるとする世人の尊称である。常日頃、先生は、きわめて平易な言葉で武を説かれ、人の生き方に触れ、そして天地自然の摂理について語られた。その言葉の寸片にこもる深い意味と、味わいを今にして知る。先生は、「武」と通じて人間は如何にあるべきかを探究された厳しい求道者だったのである。
我々は、武士宮城長順薫陶を受けた者、あるいは衣鉢を継ぐ者として、常に先生と倶に在ることを自覚し、自己を厳しく律し、鍛錬を続けなければならない。仍て、我々は、先生のご教之の篠々を、剛柔流訓とし、ここに誦ずるものである。

 

剛柔流空手道の極意は型の中に在ると知るべし

型は單なる形を示すものに非ず。変幻自在の動作を具現せるものにして、空手の真髄、ここに結晶しあることを認識、常に初心にたちかえり錬磨すべし、單純素朴なる鍛練とおろそかに思うべからず、これを通じてのみ極意に到達するものなり。剛柔流空手道は自己の中に天地自然の調和を表現するものなり柳のごとく柔軟なる面と、動かざること泰山のごとき面、即ち剛柔両極の混然と一体となるとき、諸元調和の天地の揺るぎなき姿、そこに展開するなり。剛と柔の調和は乾坤一如、自然の摂理と同義にして、実に吾人は、剛柔流空手道を通じ自己一身の中に自然の調和を表現し得ることを知るべし。

 

剛柔流空手道は徳の道を追求するものなり

剛柔流空手道は肉体と精神を錬磨することにより、霊肉一致の理想的人間性を涵養するものなり。もとより、兵法には、「勝つ」という一義はあれども徳の到りて勝つことこそ至高のものなり。故にこの道を志す者、常に「忍」の一字を忘れず、自らの徳を高め、戦わずとも勝つという兵法、結局の極意を追及すべし。

 

国際沖縄剛柔流空手道連盟
最高師範 東恩納盛男

武士宮城長順生誕110周年記念大会
1998年第三回世界空手道選手権大会より